この東北めぐり旅では是非とも寄ってみたい巨樹の一つでした。
羽黒山随神門近くの駐車場に車を捨て置き、朱い門をくぐり・・・
長い石段参道を登ること約10分弱、国宝五重塔を背に立ち尽くしている。
爺杉(じじすぎ)と呼ばれるこの巨杉には、婆杉(ばばすぎ)と呼ばれる相方が居たらしいのですが、明治35年(1902年)の暴風により倒木、以来単木の
爺杉として国指定天然記念物指定(1951年6月9日)されている。
樹齢約1000年以上、目通り8.2m、樹高30m。
撮影2012.9.17
この東北めぐり旅では是非とも寄ってみたい巨樹の一つでした。
羽黒山随神門近くの駐車場に車を捨て置き、朱い門をくぐり・・・
長い石段参道を登ること約10分弱、国宝五重塔を背に立ち尽くしている。
爺杉(じじすぎ)と呼ばれるこの巨杉には、婆杉(ばばすぎ)と呼ばれる相方が居たらしいのですが、明治35年(1902年)の暴風により倒木、以来単木の
爺杉として国指定天然記念物指定(1951年6月9日)されている。
樹齢約1000年以上、目通り8.2m、樹高30m。
撮影2012.9.17
撮影2012.9.17
場所はここ・・・
秋田県南部の山形県と宮城県との県境近く、国道108号線から脇道に入った川連(かわづら)集落外れ、千代世神社境内の簡素な社殿脇に立つ日本最大クラスの朴の木。
根元で大きく二股に分かれ、その部分では少し腐朽進んでいる様にも見えるが・・・
全体的に受精は盛んで、あの大きい朴葉を青々と茂らせ、夏の日に大きな木陰を提供してくれていた。
樹齢約500年・目通り10.7m・樹高約10m・・・日本最大クラスとは言え何の仰々しさもなく、のどかな村外れに立ち尽くしている。
撮影2012.9.18
国道13号線横手市方面から県道29号線を西進、雄物川を越え八沢木の山間部に入るり、県道265号線との分岐を直進すると、やがて右手コンクリート擁壁の高台にそれと判る公孫樹の大木が見える。
この高台に車を乗り入れる道路などはなく、脇道にに車を捨て置き、擁壁に造られた階段を登ると狭い平地があり、右手奥に小さな祠と、蘖をつくねた様な公孫樹の大木が立ち尽くしている。
元々この地は寺院の境内・・・案内板に依ると布教に訪れた舟渕玄鑑が、この地で廃寺となっていた真言宗の寺を再建し、曹洞宗護法山曹渓寺を興し、記念にイチョウを植えたのがこの公孫樹だと言う。
現在、曹渓寺は1.5kmほど東方の字北野に移転・・・この公孫樹だけが残されている。
一見カツラの巨木の様にも見える樹姿が枯淡さを表して圧巻だが場所・ロケーション共に優れず、これでは人も来ないだろうと・・・
樹齢・伝承600年:目通り6.6m:樹高20m
横手市の天然記念物指定ながら、ちょっと寂しそうな公孫樹の巨木です。
撮影2012.9.18
若松街道と呼ばれる国道49号線、道の駅「阿賀の里」に、国道を挟んで対面する小高い土堤の上に立つ。
国道を走っているともっと目立つと思っていたが、あまり目立たず、行き過ぎてしまって、結局道の駅に車を置き、周りを探す羽目・・・・
それと言うのも国道から一筋集落の中に入った旧道に面した民家の脇にあり、僕が訪れた9月の半ばには、イチョウは全く色づいて居なかった。
樹齢500年、目通り10.5m、樹高20mと言うけど、周りに雑木などが茂っており、イマイチ見場が良くないのは、何の指定もされて無いからなのだろう??
撮影2012.9.16
阿賀野川に沿うように走る若松街道と呼ばれる国道49号線、 蒲原平野から山間部に入って暫く、阿賀町岩谷の名刹「岩谷山平等寺」境内に立つ日本一の巨杉。
馬鹿デカイことは確かに馬鹿デカイのだがどうも主幹の無いのが玉に傷・・・イマイチ圧倒する迫力に欠けて居る
それでも推定樹齢1400年、目通り19.3m、樹高38m・・・肝心の主幹は昭和36年秋の昭和36年秋の第二室戸台風に引きちぎられたらしい。
昭和36年秋の第二室戸台風と言えば僕の家でも一棟が倒壊・・・まさか新潟方面にも大被害があったとは・・
これで主幹が健在ならば物凄い迫力の巨杉だったに違いない。
まあしかしこの将軍杉のある場所があまり撮影には芳しくなく木漏れ日が何とも成らなかった。
詳細はこの説明版で・・・
それにしても「岩谷山平等寺」薬師堂の佇まいも素晴らしかった。
撮影2012.9.16
阿賀野川、中流域左岸の五泉市切畑「観音堂」境内に立つ新潟県最大と言われる公孫樹の巨木。
山裾の深い森に囲まれた切畑観音堂は、僧行基が北国巡行の際、この公孫樹の枝を切り取り、高さ五尺の十一面観音像を刻んで安 置したと伝えられる古刹で蒲原観音霊場第三番霊場となっている。
観音堂正面に小さな白木の鳥居を冠し簡素な石祠を根元に巨大な「乳銀杏」と呼ばれる公孫樹が聳えて居る。
公孫樹の古木は気根がよく発達し、多くの場合は女性の乳房に準えた話を伝え、こうして信仰の対象になってることが多い。
樹齢・伝承1200年、目通り12.0m、樹高40m、新潟県の天然記念物に指定されて居る。
尤も良くある話だが公孫樹が日本に伝えられたのは700~800年前だとされるので、樹齢の1200年は俄かには信じがたいが・・・
撮影2012.9.16
新潟県、阿賀野川右岸下流域、新潟市北区高森、河岸段丘の上にある鎮守の杜に有り、地元のシンボルとして親しまれて居ます。
この小高い鎮守の杜には一見寺院と見まごう様な権現造りの稲荷神社が鎮座しており、その脇に「高森の大ケヤキ」が有る。
稲荷神社の御神木として君臨する「高森の大ケヤキ」は、推定樹齢1200年、樹高20m、目通り10mとされ、新潟県の天然記念物に指定されている。
この小高い丘は、往古海に浮かぶ小島であり、このケヤキに難を避けた小舟が繋いだと言う伝承が残るとか・・・
まあ、それほどに年を経たケヤキの巨木だという事か??・・確かに樹瘤の隆起には目を見張る物が有る。
撮影2012.9.16
本来なら桜の巨古木は花の有る時期に撮影したいのだが中々そうも行かなく、こんな季節外れの画像です。
最上川上流域の置賜地域と呼ばれる長井市上伊佐沢の伊佐沢小学校のグラウンド脇に立地尽くしている。
頬杖をあちこちに掛け、相当なご老体に見える。
この桜の有る地が窪地で有った為に「久保ザクラ」と呼ばれるように成ったらしいが、「四反桜」や「お玉桜」の別名も持つ。
桜の巨古木が殆どそうで有るように、樹齢約1200年と伝わる「エドヒガン」の古木・・・
目通り幹囲9.0m、樹高16m、推定樹齢1200年とされ、国の天然記念物に指定されている。
手厚い樹勢回復作業で命をつなぎ留め地元の暖かい保護のもと、今年も1000年の美しい花を見せてくれるだろう・・・
撮影2012.9.16
山形県の日本海側、僕の京都でゃ馴染みの薄い鶴岡市、その湯田川温泉街の奥にこの公孫樹の巨木が腰を据えている。
杉並木の石段参道を登りきった踊り場脇・・・
白雉元年(650)創建と伝える延喜式内社「由豆佐売神社(ゆずさめじんじゃ)」の本殿と対峙するように立って居る
「乳イチョウ」の名前の通り大きく長い気根を何本も垂れ下げ、株元には小さな祠が祀られ、公孫樹自身も信仰の対象に成っている事を窺わせる。
樹高37m、 目通り7.3m、 樹齢300年以上と言われていますが、300年前には既に大公孫樹で有ったようです
撮影2012.9.17
この東北めぐり旅では是非とも寄ってみたい巨樹の一つでした。
羽黒山随神門近くの駐車場に車を捨て置き、朱い門をくぐり・・・
長い石段参道を登ること約10分弱、国宝五重塔を背に立ち尽くしている。
爺杉(じじすぎ)と呼ばれるこの巨杉には、婆杉(ばばすぎ)と呼ばれる相方が居たらしいのですが、明治35年(1902年)の暴風により倒木、以来単木の
爺杉として国指定天然記念物指定(1951年6月9日)されている。
樹齢約1000年以上、目通り8.2m、樹高30m。
撮影2012.9.17
撮影2012.9.17
場所はここ・・・
秋田県南部の山形県と宮城県との県境近く、国道108号線から脇道に入った川連(かわづら)集落外れ、千代世神社境内の簡素な社殿脇に立つ日本最大クラスの朴の木。
根元で大きく二股に分かれ、その部分では少し腐朽進んでいる様にも見えるが・・・
全体的に受精は盛んで、あの大きい朴葉を青々と茂らせ、夏の日に大きな木陰を提供してくれていた。
樹齢約500年・目通り10.7m・樹高約10m・・・日本最大クラスとは言え何の仰々しさもなく、のどかな村外れに立ち尽くしている。
撮影2012.9.18
国道13号線横手市方面から県道29号線を西進、雄物川を越え八沢木の山間部に入るり、県道265号線との分岐を直進すると、やがて右手コンクリート擁壁の高台にそれと判る公孫樹の大木が見える。
この高台に車を乗り入れる道路などはなく、脇道にに車を捨て置き、擁壁に造られた階段を登ると狭い平地があり、右手奥に小さな祠と、蘖をつくねた様な公孫樹の大木が立ち尽くしている。
元々この地は寺院の境内・・・案内板に依ると布教に訪れた舟渕玄鑑が、この地で廃寺となっていた真言宗の寺を再建し、曹洞宗護法山曹渓寺を興し、記念にイチョウを植えたのがこの公孫樹だと言う。
現在、曹渓寺は1.5kmほど東方の字北野に移転・・・この公孫樹だけが残されている。
一見カツラの巨木の様にも見える樹姿が枯淡さを表して圧巻だが場所・ロケーション共に優れず、これでは人も来ないだろうと・・・
樹齢・伝承600年:目通り6.6m:樹高20m
横手市の天然記念物指定ながら、ちょっと寂しそうな公孫樹の巨木です。
撮影2012.9.18