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Channel: 巨樹、巨木巡礼
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御所市 佐田春日神社のムクノキ

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葛城山系の東面する山裾に広がる広大な棚田地帯、その中を行く葛城古道沿い、古い集落の鎮守「佐田春日神社」のムクノキ。

懷かしい景観の残る神社の前の道。

佐田春日神社境内は地域の憩いの場所にもなっており、割拝殿の奥から大きいムクノキの梢が見える。

内陣?に入るとどかっと腰を下ろしたこの姿・・・・板根がロングスカートよろしく裾を広げて居る。

主幹には大きな樹瘤を何個も造り、その歴史を感じさせる。

根元に少々痛みは見えるものの、目通り約5m足らず、樹高約25m・・・・、まだまだ元気な姿を見せて居る。

この葛城地域にはムクノキ、ムクロジなどの巨木がかたまって多く存在してるのは何故だろう???

撮影2010.9.18


宇和島市伊吹町 伊吹八幡神社のイブキ

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四国西端豊後水道に面した宇和島市伊吹八幡神社、拝殿正面に並び立つ国の天然記念物に指定された二本の大イブキです。

JR北宇和島駅の南東約500m、山裾に南面して建つ、和銅5年8月15日に創建したとされている古社です。

このイブキ二本は「伊予守源義経」が社殿を造営したとき、家臣に植樹させたとされ、樹齢は800年を超えている。

正面から見ればまるで二本のイブキが生きた鳥居・・・・結界の印でもあるように見える。

向かって右側の一本が大きく目通り約5m、高さ約20m。

相当な年月を生きながらえ、それなりの傷みも有るがまだまだ活力旺盛、枝いっぱい緑に染めている。

左の一本は傷みが激しい。

尚、神社名や町名の伊吹はこのイブキにちなんだ命名だとか・・・・。

撮影2010.9.23

松山市福見川町 新宮神社の三本杉

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愛媛県、巨樹の筆頭として君臨する新宮神社(しんぐうじんじゃ)の三本杉。

松山市街から北東方面山中へ約15km、 棚田に囲まれた福見川町鎮守、新宮神社境内山裾斜面からそそり立つ。

遠くから、みはるかすと三本杉の梢が飛び抜けて高く聳えてひと目でそれと解る。

一見、二本に見える三本杉だが・・・、向かって右手の大杉は二株が合木化して株近くは単幹に見える。

右側の合木化した大杉は目通り12m(合木部分)、樹高約55m・・・

見ように依っては殆ど一本にしか見えないのでかなり壮観巨大です。

もう一本左側の大杉は目通り約8m、樹高55m・・・・、ともに樹齢400年足らずと推定されて居る。

四国では高知県「杉の大杉」に次ぐ大杉として松山市の天然記念物に指定されて居る。

撮影2010.9.24

高岡郡梼原町(ゆすはらちよう) 善福寺の千年杉  

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山間谷間の小さな集落、簡素なお堂一つの山寺境内にひっそりと起つ巨杉です。

愛媛県宇和島市伊吹神社の大イブキの撮影を済ませた後その足で、国道320号線、197号線、440号線と乗り継いで山岳ドライブ約60km、2時間足らずで山間谷間の田野々(たのの)集落に着く。

<善福寺境内よりの景観>

四万十川の支流梼原川、その源流域、僅かばかり平地に水田と集落がポツポツと建つ。

本道脇、山裾に積み上げた石垣上にどっしり腰を下ろした千年杉は目通り8.3m、樹高約35m・・・。

樹齢約600年・・・・、千年杉と言うにはまだまだ間がありそうな??

根元には石像品の残欠があり、大杉自身も数基の墓石を巻き込んでいると言われている 。

そんなことなどお構い無しに千年杉は、山里を見守る様にすくっと立ち尽くしていた。

梼原町指定天然記念物。

撮影2010.9.23

大洲市豊茂 金山出石寺(きんざんしゅっせきじ)の大桂

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標高820m、弘法大師開闢の古刹、金山出石寺参道脇に立つ桂の巨木。

大洲市と八幡浜市を分ける出石山山頂、大洲市側に金山出石寺がある。

大洲市側のふもと、肱川嵐で有名な肱川口近く依り県道29号線で約18km30分ほどの山岳ドライブ、登るに連れワイドビューが素晴らしい。

金山出石寺・・・、正面は護摩堂、石段奥に本堂と太師堂が建つ。

桂の巨木はこれ程山奥まで駆け上って来たものの拍子抜け・・・、中程の主幹が折れて欠損、ちょっと貧弱に見えます。

目通り6〜7m、樹高約20m強と言ったところ・・・車道脇に大洲市の天然記念物標柱が有り誰にも目がつく。

撮影2010.9.24

大洲市手成 金竜寺の公孫樹

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大洲市、肱川右岸山中の金竜寺に立つ公孫樹の巨木。

肱川右岸沿いに走る県道24号線、JR予讃線「伊予白滝」駅より道なりに約1.5km、三嶋神社の先で川沿い道に左折、小さな集落を越え、山肌に蛇行して続く坂道を上り詰めるとほんの僅かな広岡集落。

集落の最奥、斜面に立つ寂れた金竜寺に二株の大公孫樹がただ立ち尽くしている。

境内は荒れ、本堂の屋根にはブルーシートが懸けられ、限界集落の現実を知らされますが・・・。

向かって左、本堂への石段前にある一株が大きく、株立ち状5〜6本に分幹して直立してい る。

諸手を大きく伸び上げる様に立つ目通りは約9.5m、最大の分幹は約3.7m、樹高42mと成って居る。

傍らには小さな祠や石造物などが見られ公孫樹自身も信仰対象になってる様です。

かたや、本堂傍らに立つ大公孫樹。

こちらも三分幹の株立ち、目通り約7.5、最大分幹は約3.1m、樹高39mと成って居る。

文化3年(1806)資金調達のため伐採された大公孫樹、その切り株から芽を吹き出したのが現存する金竜寺の大公孫樹。

これで株立ちの理由の謎が解けたような気がする。

撮影2010.9.24

大洲市手成 西禅寺のビャクシン

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前回紹介に同じく大洲市手成の 山中、更に河内川上流に位置する西禅寺境内に立つビャクシンの老大木。

河内川沿いに西禅寺まで到達する道は無く、麓の河内集落迄くだり、大きく迂回して西禅寺の門前に立つ、直線で川を遡れば500m足らずが約5km、昔はきっと間道でもあったのだろうが・・・・・・。

臨済宗「横松山西禅寺」は中世から続く古刹、最近寺は新しく整備され、僻地山間寺院にも係わらず車で山門に横付け・・・。

門横、土塀に密着して立つビャクシンは庭園整備のため約1.5m埋め立てられ現在の姿と成って居る。

樹齢約500年、目通り3.7m、樹高15m、ビャクシン独特のネジ曲がるような樹形で訪れるものを迎えてくれる。

伝承では、佐々木長者という人の娘が亡くなって、その葬られた塚の上から椿とこのビャクシンが生えて来たという・・・。

現在愛媛県の天然記念物に指定されている。

埋め立てる前、1.5m下部の根元ははどんな姿だったのだろうか???

撮影2010.9.24

東温市(とうおんし)樋口字片山 北吉井(きたよしい)のビャクシン

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国の天然記念物指定のビャクシンは全国に8本、その内3本が愛媛県に有り、そのうちの一本がこの「北吉井のビャクシン」です。

東温市は松山市の東隣、伊予鉄道松山市駅から延びる横河原線終着「横河原駅」から北に約500m、大河重信川の支流内川沿いの円通寺参道脇に立つ。

岩峰山円通寺は明治初期に廃寺と成ったらしいが、それらしき建物が林の奥に見え隠れする。

国指定天然記念物のビャクシンは主を失い、今や通る人も無くなった野良道代わりの参道脇、野原の中に佇んで居る。

樹齢約800年、根周り約7m、根元で二幹に岐れ立ち上がって居ますが、ネジ曲がるようなビャクシン特有な樹姿は中々の迫力、樹勢も決して悪くない。

現在根元は全く分離して二本の株立ちの様に見えるが、空洞だった根元で お遍路さんが休息、その焚き火の不始末でこんな姿に成ってしまったとか??

何代目かの円通寺住職が石槌山から持ち帰りここに移植したものだと言われて居る。

撮影2010.9.24


大津市坂本 遮那王(しゃなおう)大杉

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比叡の山裾、日吉大社の境内すぐ近くに遮那王(しゃなおう)大杉と呼ばれる巨杉が聳えています。

日吉大社の赤い鳥居脇から境内をかすめて通る県道の曲がり角、南西の角地に一本の巨杉が有り・・・・・、

同地にゆかりのある「遮那王」こと「源義経」に因んで遮那王(しゃなおう)大杉と呼ばれて居ます。

直ぐ脇を交通量の多い県道が通り抜け、決して樹勢旺盛とは言えない枝ぶり。

根元には小石仏や板碑などが集められ、大杉自身も信仰の対象になって居る様です。

樹齢は不明ながら、目通り約6m、樹高約30m・・・・・、しかし観光客はこんな杉の巨木などには一瞥することもなく通り過ぎて行くようです。

この付近や日吉大社には見るべき物が目白押し・・・・。

撮影2010.11.3

西条市 西田の椋の木

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石槌山、口之宮(総社)の参道脇に立つ椋の巨木。

愛媛県西条市は石槌山の麓街、その山裾には石槌山を御神体と仰ぐ石鎚山総本宮が有り・・・・・

総本宮境内から見る瀬戸内沿岸には工業地帯が連なっている。

参道脇西田集会所の前に単立、根元には祠が有り石仏らしき物が祀られて居る。

主幹から突き出る突き出る枝はその度に刈り取られ、まるでザンバラ髪の様相。

目通り約45m、樹高15m、樹齢は伝承により400年とされて居る。

椋の巨木としてはちょっと物足りない気もするが根元あたりの力強さには迫力が感じられる。

根元には洞があるのか小動物侵入防護の網が懸けられ、ちょっと興ざめ。 

撮影2010.9.24

室浜大明神のシンパク

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志々島へ大楠を撮影に行き、その帰り道にちょっと足を伸ばして観に行った「室浜のシンパク」。

室浜は瀬戸内に細長く突き出した荘内半島の北側を行く県道232号線、最奥突きの小さな漁村。

後ろに迫る山と前に広がる瀬戸内の海との狭い平地に20戸ばかりが軒を寄せ合う。

シンパクは集落の入口、室浜大明神の社殿、神社だから社殿だろうが?その実古い形を残した御堂脇、大きく緑の諸手を挙げるように起ち上がって居る。

シンパクの巨木は株立ち四分幹、内一本は既に立ち枯れ、残りの三本に緑の葉をつけて居るが・・・とても樹勢旺盛とはいかない様子。

其れでも堂々たる株元には「しめ縄」替わりの魚綱が巻かれ、目通り約7m、樹高約8m、樹齢は不明です。

またこの地は浦島太郎縁の土地とされ、前の浜は太郎がよく釣りをしていた浜で「不老の浜」捕呼ばれて居る。

しかし風光明媚な伝説の土地も都会から遠く離れて、もはや限界集落・・・ 

撮影2010.9.25

長浜市今町 八坂神社のケヤキ

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湖北、長浜市の北東郊外、今町(いまちょう)の八坂神社に立つ、まさしく息も絶え絶えに見えるケヤキの巨木。

北の冬はいつも寒くて鉛色・・・弁当忘れても傘は忘れるなと言う程、いつ行っても必ず何処かで雪か氷雨に降られてしまう。

今町の八坂神社は北陸道長浜IC近く、伊吹山を目の前にした田園集落、 今町の南外れに鎮座している。

神社境内正面に立ってもそれらしき巨樹の姿は見えず、社殿背後に廻ると・・・完全に白骨形骸化して居ると思われる主幹の背後から若々しい小枝が2〜3本。

ぐるっと根回りを裏へ・・・・・主幹から分れた幹や根回りは若々しく力強く息づいてその命を繋いでいる。

もう形骸化した親樹を見捨てたように・・・・。

案内板データーに拠ると目通り7.4m、樹高16m、何と推定樹齢1300年・・・・・。

命を受け継いだ分幹が、枯れ果てた主幹を凌ぐ大樹になるのはいつの日だろうか??

境内南側の道路脇にも二本の大きなケヤキが聳えていた。 

撮影2011.2.20

小浜市 宇久のタブノキ

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漁村入口に立つタブノキの巨木です。

約十数戸が後ろに浜まで迫る山を背に負い、海岸線を前に僅かばかりの狭隘な平地に軒を連ねる宇久の漁村。

宇久集落は若狭湾に突き出した内外海(うちとみ)半島の東側付け根、観光釣り客多い小さな漁村。

国道162号線、内外海小学校の先の交差で県道107へ、宇久方面の看板に従い5〜6分も山道を走り、前の開けた処が集落の入口・・・・・、目の前に大きなタブノキ。

民家のブロック塀の切れ目から瘤だらけのゴツゴツした主幹を突き上げている。

目通り約5m、樹高20mと言ったところか?特別大きいタブノキではないけど・・・

集落の入口に起ち、村人たちと共に生きてきた大切なタブノキに違い無い・・・・。

多分この先もずっとそうだろう。

撮影2011.5.3

北九州市 長行(おさゆき)貴船神社の大楠

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一昨年の暮れ、京都から一目散に夜を徹して車を飛ばし、夜明けの遅いこの地に着いたのが7時過ぎ、なんとか撮影出来る明るさに成っていた。

九州自動車道小倉南ICでドロップ、北方へ約2.5km、周りに新興団地の押し寄せるなだらかな山裾の里山、「長行(おさゆき)集落」

集落の中程、神社とは名ばかり、大楠の根元に小さな祠が祀られて居ます。

一見スマートに見える楠の巨木は方向を変えれば・・・

根元が異様に膨らみ合体木でもあるかの様に根元から二幹に岐れて居る。

元々三本の大楠が有り、寛政の頃(1800年頃)、小倉城の用材として伐採したところ、村中の牛馬が悉く死に、村人も悪疫にかかり、天守も焼失しまったため、伐採は中止・・・・、この一本が難を逃れた。

目通り8.3m、樹 高18m、小倉市の保存樹に指定され大切にされています。

撮影2011.12.15

西吉野町大日川(おびかわ) 丹生神社の大公孫樹

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紀伊半島の真っ只中、奈良県最南端の十津川に行った帰り道、国道168号線「旧西吉野町」で見かけた公孫樹の巨木。

十津川方面から五條に向かって国道168号線を帰って来ると、丹生川沿いの国道が川の流れに沿うようにヘアピンにカーブ、その最深部左手山裾に大きく聳える公孫樹の巨木と丹生神社の石鳥居が見える。

この辺りが大日川(おびかわ)、集落は神社に対面する山の斜面に三々五々、見え隠れする山岳集落。

この大日川周辺では、文久3年(1863年)天誅組大日川の戦いの激戦が繰り広げられた土地、今でもこの大公孫樹の幹には、今でもその時の弾痕が残っているとか??

丹生神社の杜は深く、本殿は拝殿の後方、石段を遥上部に登った上に鎮座する。

御神木の大公孫樹は拝殿前方、拝殿へと登る石段右脇の石積の上にどっしり腰を降ろして居る。

7月の終わり、枝一杯に溢れんばかりの緑を付けた枝からは煩く忙しないセミの啼き号が響き渡って居た。

しめ縄を掛けられた大公孫樹は目通り約5m、樹高約30m、樹齢約200年とまだまだ若いが、初冬には全体を黄金に染め、その見事な黄葉は付近の名所と成って居る。 

撮影2011.7.30


北九州市小倉南区呼野(よぶの) 大山祇神社の公孫樹

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前回紹介の長行(おさゆき)貴船神社より国道322号線を南下する事約15分、呼野大山祇(おおやまづみ)神社の大公孫樹です。

呼野(よぶの)大山祇神社は、山合いの谷間を走るJR日田彦山線呼野駅の南西寄り、山裾斜面に鎮座する古社。

集落は長い参道の下に甍を並べて居る。

大公孫樹は境内への最後の石鳥居潜った左手、一段高い境内の石垣上にどっしり腰を据えて居る。

この地を訪れたのは12月中旬、九州の遅い黄葉もいくばくかを残し、梢迄見仰げる裸樹になって居た。

説明板に拠ると、目通り8.5m、樹高37mと有るがちょっと大げさな感じ・・・・、実際はもう一回り小さいかも??

方向を変えれば主幹はすっかりこの様、すっかり枯骸化が進みコールタールで固められて居る。

説明板には二度の治療の甲斐有って蘇ったとあるように境内一面黄金の絨毯を敷き詰めたように黄金色に輝いて居た。

足元は心もとないが、これだけ葉を付けて居たのなら持ち直して居る様です。

撮影2011.12.15

香春町(かわらまち) 元光願寺大楠

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田川郡香春町の元光願寺跡の急斜面に異様な姿で立ち尽くす巨楠です。

北九州市の南端、小倉南区と北端で接する田川郡香春町(かわらまち)は、五木寛之氏の小説「青春の門」でも知られる筑豊のシンボル香春岳の麓に広がる歴史深い土地、この地の香春神社は「新羅国神」を祀り、九州最初の官社に認定されている。

巨楠は香春町を縦断するように流れる金辺川右岸、町役場北方の山裾、参道脇の急斜面から諸手を挙げるように起ち上がって居る。

根元に大きな膨らみを蓄え、その上に女性器を思わせる様な巨大な洞をパックリ開けている・・・・まるで今にもムジナでも飛び出してきそうな??

目通り8.4m、樹高30m、推定樹齢800年とされ、福岡県の天然記念物に指定されて居る。

大空を覆い尽くす様な大きな樹冠は麓の街並を見下ろし続けて幾百年・・・・・、

<大楠の説明板>

光願寺は昭和20年の大水害で土砂崩れのため全壊移転し、現在元境内に延命地蔵尊が祀られています。

なお参道入口には日本地図作成の父、伊能忠敬が文化9年(1812年)この地で止宿した、という石碑 が立っています。

撮影2011.12.15

福岡市博多区 櫛田の銀杏

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博多っ子の夏、血湧き肉踊らす博多山笠追い山はこの銀杏の神木がスタート地点という・・・。

博多祝い唄にも「さても見事な櫛田のぎんなん、枝も栄ゆりゃ葉も繁る」と歌われている様に博多とは切っても切り離せない巨老木の公孫樹です。

博多の中心地に近く、ビルが林立する谷間に博多の総鎮守として天平宝字元年(757年)創建といわれる櫛田神社が在り

古くより博多市民の信仰と崇敬を集めています。

境内脇には大きな山笠の山車が常設され、厭が上にもこの地が博多山笠の中心だと知らされる。

福岡県指定天然記念物の「櫛田の銀杏(ぎなん)」は樹 齢約1000年、目通り9.3m、樹 高23m・・・・風格の有るその姿をビル街の谷間から見せて居る。

博多でも最高齢の公孫樹の巨木も依る歳波には勝てず、無骨な鉄製頬杖のお世話に成って居ますが、博多祝い唄の歌詞通り「枝も栄ゆりゃ葉も繁り」・・・・・、まだまだ秋には、たわわのギンナンを付けるそうです。

撮影2011.12.15

福岡市 筥崎宮の大楠

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前回の櫛田神社より北東に約3km、博多湾まで伸びる長い参道を持つ筥崎宮の大楠。

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮と共に日本三大八幡宮に数えられ、延喜式神名帳にも記録された由緒深い神社です。

又鎌倉中期の元寇のおり、この神に祈り、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、ますます有名になり、その神徳は天下に轟き広く崇敬を集めた。

一之鳥居は慶長14年(1609)、時の藩主黒田長政が建立したもので、独特なその様式から「筥崎鳥居」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。

大楠はこの一の鳥居を潜った右奥、清明殿の手前に古色蒼然・・・・立ち尽くしています。

最早、全身洞だらけ、まるで形骸化したような主幹には、木蔦や寄生植物がびっしりと張り付き、息も絶え絶え・

主幹前面はとっくに枯れ死状態、脇から伸ばした枝だけで生を繋いで居るかの様です・・・

それでも樹齢800年、目通り12m、樹高20mとカウントされ、生死渾然一体となり、しっかり生をつないでいます。

撮影2011.12.15

春日市 「春日の杜」の巨楠群

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福岡市中心街のすぐ南に隣接する春日市の「春日神社」境内 に有る「春日の杜」と称される巨楠群。

鹿児島本線大野城駅より西へ約1km、春日貯水池東側の楠樹林の一角を拓いて奈良時代に創建されたと言う春日神社が有る。

境内は広く開けて居るがポツポツと楠樹林から取り残されたで有ろう巨楠が在り、「春日の杜」として県の天然記念物として指定されて居る。

正面、石の鳥居を潜ってすぐ右手、周りを柵で保護された大楠が林状に成って居る。

5本の大楠が密集し、一つの樹林ででもあるかの様に高く天を目指し・・・・・

根元部分はお互いに絡み、密着し、波打ち蠢いて居るかのようです。

因に左の癒着樹は目通り12.5mとされています。

境内を横切るバス通り道、バス停前にはすっかり腸(はらわた)をさらけ出したこんな楠・・・・。

又バス通り道を挟んだ対面する「ひょうたん池」の畔には・・・

根上りの激しい巨楠、しかしいずれも元気そうで青葉を枝いっぱいに茂らせて居る。

南国九州、何と言っても楠の巨樹が目立ちます。

撮影2011.12.15

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