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Channel: 巨樹、巨木巡礼
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朝倉市古賀 松尾神社の大楠

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家並みと田園風景のちょうど境界辺りに大きく聳える楠。

安長寺の大楠」より東へ約3km、何故だかNET地図はどれを見ても「田神社」と表示されていて紛らわしいが?石鳥居には「松尾宮」の懸額があり間違いなくここは松尾神社。

元和2年(1616)、松尾神社はこの地に遷座とあるので、旧くは「田神社」と呼ばれる古社の境内地だったのかも??

境内の片隅にはそれを物語るかの様に小さな朱鳥居の祠が祀られて居る。

大楠はちょうどそんな小社と松尾社の中央にどっかり腰を据えている。

朝倉市の天然記念物に指定された大楠は、現地案内板に拠ると、目通り8.1m、樹高35mと有るが樹齢は書かれて居ません。

うねる様な根張りはそれなりの樹齢を重ねて居る様ですが主幹や根元にも大きな傷みや洞も確認できず、見た目にも若々しく活力いっぱいの大楠です。

九州にはこれぐらい楠はいくらでも有るのか??特別視はされて居ない様です・・・。

撮影2011.12.16


朝倉市須賀 志賀様の大楠

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楠の巨樹が多いこの朝倉市にあっては余り目立たない存在なのか??ちょっと割を食ってる巨楠です。

斉明女帝の百済援軍の際、海上安全を祈願するため、志賀大明神を祀った場所とされ、この楠を「志賀 様の大樟」と呼んでいる。

朝倉市役所より南西に約10km足らず、山裾に拓けた小さな里山集落の在所道沿いに立つ。

大樟は道路脇を流れる小さな溝の様な小川淵より斜めに起ち上がり、途中で向きを替え大空へ向かう。

目通り10m、根回り14.8m、樹高22m・・・福岡県の天然記念物に指定されている。

地表の根元には大きな洞が口を開け、その下からは清水が湧き出し、小川に接する根際はいつも水に浸かっています。

傍らに床だけのお堂と、傍らには水神様を思わせる様な石祠が有ります。

もはや、この樟も神格化されて居る様な気がしました。

撮影2011.12.16

朝倉市 下古毛(しもこも)の大クス

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朝倉市の筑後川沿いには楠の巨樹が密集しているが、大分自動車道「朝倉IC」のすぐ南側にも巨大な樹冠を見せる 「下古毛の大クス」が有る。

以前このページでも紹介した国天「隠れ家の森」より県道14号線で西方へ約3km、筑後川右岸の田園地帯に有る下古毛集落。

ちょうど集落の中程、集落センターの傍らに簡素な観音堂が建ち、御堂を覆い守るかの様に「下古毛の大クス」が聳え立つ。

どっしりと腰を据え、仁王立ちして諸手を突き出した様なその姿は、子供が描く大きな木を彷彿とさせるに充分・・・・・。

絵に描いた様な巨樹らしい巨楠だと云う事が出来る。

まだまだ若々しく活力一杯に見える大楠は、目通り13.3m、樹高26m、樹齢400年以上とされています。

それにしてもウエストが見事にくびれ、どっしり大地に息づいて居る。

これだけの大楠がこの地では無冠の巨樹だと云う事です。

撮影2011.12.16

朝倉市山田 恵蘇八幡宮の大樟 

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均整のとれた樹姿ゆえ少しスマートに見え過ぎ、その巨大さが表しにくい。

この巨楠の立つ恵蘇八幡宮は応神天皇、斉明天皇、天智天皇を祭神とし、「日本書紀」斉明天皇七年条にある朝倉杜にも比定される古社。

前回紹介の「下古毛(しもこも)の大楠」より筑後川沿いに東へ約4km、以前に紹介した「隠れ家の森」とは目と鼻の先、筑後川が蛇行する国道386号線沿いの山側斜面にそれと分かる姿で立って居る。

目通り9m、樹高約32m、樹齢は不明ですが・・・、見たところ大きな傷みもなく元気そのものの壮年期の大樟の様です。

ちょうど本参道の石段と、脇参道を隔てる斜面に力みなぎる巨根を降ろし君臨している。

下方筑後川堤には水神社の巨楠が見下ろせ・・・・この辺り一帯が巨楠の森であった事を窺わせるに充分。

ちなみにこの巨楠は福岡県指定天然記念物。 

撮影2011.12.16

朝倉市山田 水神社の大樟 

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前回紹介、「恵蘇八幡宮の大樟」からちょうど見下ろせる水神社境内に君臨する大樟。

筑後川「山田大井堰」の取水口に在って、水を司る為の神社なのだろう・・・・、小さな社なのだが境内は付近住民の憩いの場となって居る。

社殿とこの地の土地改良区などの建物の間に立って窮屈そうに太枝を四方八方にに伸ばしている。

この大樟は社殿建築に際し、約2m程も盛土され、当時の根元を見ることは出来ません。

目通り8.2m、樹高21m、樹齢は不明ですが、まだまだ若々しい壮年期のように感じます。

福岡県の天然記念物に指定されていますが、いかにこの地域には巨楠が多いと云えども、無粋な建物に囲まれた大樟は可哀想過ぎる気がします。

撮影2011.12.16

朝倉市杷木志波 志波宝満宮(しわほうまんぐう)の楠

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前回紹介の水神社より、前の国道386号線で東へ約1.5km、志波宝満宮参道入口に君臨する巨楠です。

志波宝満宮の鎮座する杷木志波は筑後川右岸に建ち並ぶ古い集落、背後の丘陵上に「志波宝満宮」が鎮座してりますが、社叢全体が暖地性樹木の杜として、福岡県の天然記念物に指定されています。

背後すぐそこに筑後川が見える在所道、志波宝満宮の石鳥居と境内への登り石段・・・その左手、なだらかな斜面原に巨大で異様な巨楠が聳えて居る。

この巨楠は連理らしいのですが石段側からでは全くそれと気づかない。

ゴツゴツした巨大な主幹にはしめ縄が巻きつけられ、神木で有る事を窺わせる。

巨楠上部に回り込むとこの通り主幹の中心部が大きく抉れて異様な姿を晒しています。

この抉れた部分は、右側の主幹の半身が焼け爛れ左手楠が寄り添うように合体して居るらしい・・・・。

誰の目にも大きい洞を持つ一本の巨楠に見えるのだが・・・

洞の根元を見てみると、中心部に腐朽の痕が無く・・・連理なのかなあと頷け無くはない。

樹齢450年以上、目通り9.8m、根回り15.3m、樹高20m。

これだけ巨楠ばかりを見せ付けられると驚きが無くなってしまう、ああ、こんなもんかと・・・・・・。

撮影2011.12.16

久留米市 善導寺の大樟

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九州には楠以外の巨木は無いのかと思うほど・・・・、又々楠の巨木です。

九州道久留米ICより東へ約6km、筑後川に注ぐ巨勢川左岸、穀倉地帯の広がる中、大きな山門を持つ、名刹「浄土宗光明院善導寺」がある。

善導寺は広大な敷地に数多くの伽藍を配した一大寺院、釈迦堂への参道右手脇に二本の大楠が聳え立って居る。

一見、三株に見える大楠は、向かって左手1号樹、大きく洞を空け背後の一株と連理癒着した2号樹。

1号樹は目通り9.5m、樹高39m

2号樹は目通り12.3m、樹高41m。

2号樹の主幹には大きく深い空洞が見られるものの樹勢は頗る旺盛。

緑濃い苔のの大地にどっしり腰を下ろして、共に樹齢は800年・・・・、開山「聖光上人」のお手植えだとされ、福岡県の天然記念物に指定されています。

撮影2011.12.16

久留米市 北野天満宮の大樟

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行っても行っても、何処へ行っても楠の巨樹ばかり。

西鉄甘木線北野駅の直ぐ南、筑後川に注ぐ陣屋川の迂回枝流右岸に鎮座する北野天満宮、朱塗りの太鼓橋を渡って直ぐ左手、特徴のある石鳥居脇に聳える大樟。

なんと形容すれば良いのか見事なしもぶくれ、まるで巨大な土団子に枝付きの串でも突き立てたような・・・・

巨大な根回りはその根元で約22m、樹高は17.5mと以外にちんちくりん。

因に樹齢は900年余りとか??とにかく異様な樹姿を誇って福岡県天然記念物に指定されています。

一方だだ広い境内の突き当たり、楼門を真ん中に一対の巨楠が立っていて素晴らしい景観を醸し出しています。

この一対の樟も中々の巨木ぶりですが、この地域では特別に取り上げるべき存在では無いのかも??

因にこの北野天満宮は天喜二年(1054)に京都の北野天満宮の分社として建立されたと云う事です。

撮影2011.12.16


久留米市 高良大社(こうらたいしゃ)の大樟 

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久留米市街の東方、耳納連山の高良山中腹に鎮座する高良大社の大樟です。

高良大社は筑後国一宮の式内社として仰がれ、社殿は重要文化財に指定され、神社建築としては九州最大の大きさを誇る格式高い古社。

裏山には7世紀半ば以前の築堤と推定される、国の史跡「高良山神護石」の列石遺跡蛾有る事でもよく知られて居る。

神木の大樟は社殿に向かい右側の境内端、低い木柵で守られるように聳えています・

並立する二本の大楠は大きい方を1号樹、他を2号樹と呼び、共に神木とされ、しめ縄を掛けられて居ます。

1号樹は巨大な株を持つ下膨れ、株元の直ぐ上で大きく二股に岐れ大きな樹冠を作っています。

目通り約9m、樹高23.5m、大きな損傷は見られず、まだまだ若々しく見えます。

一方こちらは2号樹、目通り4.7mと随分小振りですが・・・・・、共に樹齢400年、福岡県の天然記念物に指定されています。

撮影2011.12.16

八女市 南馬場の大樟

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社殿を覆い隠さんばかりに伸び立つ大樟。

一体北九州に楠の巨樹と言われるものはどのくらい有るのだろう???

どこの神社、寺に行っても楠の巨樹ばかりの様な気がする。

国道3号線、矢部川畔の馬場交差を西へ約500m、矢部川と矢部川に合流する支流の狭間域に位置する南馬場「熊野速玉神社」に立ち尽くしている。

熊野速玉神社と云えば三重県南部の熊野市、この地域には熊野神社が多く見受けられるが、どうしてそんなに遠く離れた神を勧請したのだろうか??

社伝に拠れば 天武天皇の時代、白鳳24年(673)、神社建立と同時に、御神木として植えられたと伝えられている。

しかしこの樹姿はまだまだ若々しく、ましてや1300年もの長い歳月を生き存えて来たと言う老獪さは感じられない。

目通り10.4m、樹高35m、・・・・・神社建立と同時に、御神木として植えられた樟の孫にでも当たるのでは無いだろうか??

 因に、福岡県の天然記念物に指定されて居る。

撮影2011.12.16

八女市 鈍土羅(どんどら)の樟

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前回紹介の「南馬場の大樟」の直ぐ近く、鈍土羅(どんどら)と言う妙な地名を持つ地の鎮守に立つ巨樟。

神社らしくもない、児童公園の様な境内の中央に君臨して聳え立つ神木の巨樟、肝心要の熊野神社は片隅に簡素な祠があるだけ。

この楠は、往古、熊襲(くまそ)討伐に従軍して戦没した朝廷側の将士を葬った墓標変わりに植栽されたものだとされ、「七つ塚」と呼ばれるものの一つだといわれています。

大正初期初、この樟の根元を掘ったところ、内部に朱の彩色を施した石棺と、ほかに土器数片が出土したと言い、石棺の一部が根元に置かれて居る。

巨樟は目通り15.2m、樹高30mと言う巨体、しかし御覧の通り、昭和43年の台風により太枝の一本が引きちぎられて居る。

その部分は既に白骨化、しかしその傷を隠すかの様に他の太枝は樹勢旺盛まだまだ若々しい。

傷の隠れる反対側から見れば、伝説の墓標の樟としては若過ぎの様に見え、多分その話が事実とするならこの樟は何代も世代交代を繰り返したのだろう。

現在、福岡県の天然記念物に指定されて居る。

撮影2011.12.16

有田町 有田の大公孫樹

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日本の磁器発祥の地、有田焼で知られる有田町の風情ある佇まいの中、国の天然記念物に指定された公孫樹の巨木です。

JR佐世保線上有田駅より北へ約500m、街並みを貫く県道233号線を少し迂回した市道脇にそれと解る掲示板と小さな駐車場が有り、脇の路地を進むと、この大公孫樹が立ち尽くしている。

路地より見ると正面に市杵島(いちきしま)神社があり、その前の広場を挟み、雰囲気の有る土塀(磁器塀かな?)を背に聳えて居る。

もう少し時期が早ければとと悔やまれるほど周りに黄葉を落とし、すっかり冬姿の大公孫樹は、目通り9.3m、樹高40m。

伝承樹齢1000年は、俄かに信じがたい程の樹勢、主幹にもそれほど大きな傷みは見えない。

江戸時代の後期、文政11年(1828)の大火が襲い、街は焼き尽くされたが、この大公孫樹の隣家、池田家だけが焼け残ったと言われて居る。

撮影2011.12.15

小城市 須賀神社のクスノキ

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小城市中心街のほど近く、須賀神社の鳥居近くに聳え立つ大樟。

須賀神社は祇園川沿いの城山という小高い山上に鎮座していますが・・・・、

この樟は須賀神社参道橋の手前、上町公民館脇の空き地にどっしり腰を下ろして居る。

付近はちょうど市街と郊外が溶け合うところ、街の匂いと田舎の景観が同時に見れるような場所・・・、直ぐそばには「小城羊羹」の名で親しまれる老舗の建物も見える。

樹齢約430年、目通り10.5m、どっしり大地を捕まえ実に堂々としていますが、大きく三幹に岐れた根元に大きな洞を造っています。

しかし方向を変えてみると、どっしり、いかにも逞しく、その樹冠は一木森を造るが如く聳えています。

撮影2011.12.17

佐賀市旧富士町 下合瀬(しもおうせ)の大カツラ

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山の神として崇敬され、伐採が禁忌となって保護されてきた事もあり、全国クラスの巨木となり国の天然記念物指定の大カツラ。

佐賀市街より北方へ約25km、福岡県との県境に近い、旧富士町、背振北山県立自然公園内、北山ダム湖流入口付近から少し山中に入った所に立って居る。 

国天の為、車で走る分には僕のバカナビでも、目と鼻の先までバッチリ連れて行って貰える。

水が命の桂の巨木、やっぱりその根元を谷川の清水が潤し、、周りは森の精気と湿潤な空気で森厳さに満たされている。

黄葉もすっかり落とした冬姿の巨木に、いつ降ったのか?少しばかり雪が残って、やっぱり低山にしろ深い山中だと知らされる。

桂特有のヒコバエが25本も群立する樹姿、その一本一本が、脇の木を押しのけるように大空めがけ、その枝を伸ばしている。

樹 齢 約1000年、目通り15m、根回り19m、樹 高34mと成って居る。

まだまだ樹勢は旺盛、ヒコバエ支幹にも、ヒコバエがいっぱい生え出している。

撮影2011.12.17

和水町(なごみちょう)西吉地  山森阿蘇神社の樟

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前日の宿泊地、鳥栖市街から南へ約50km、和水町(なごみちょう)西吉地集落の鎮守、山森阿蘇神社参道脇に立つ巨樟です。

朝一番に宿を出、九州自動車道を南下、 南関ICから県道4号、県道194号経由でこの場所に着いたのが朝まだ早き7時半・・・・、集落の朝は遅く、まだまだ静まり却って居た。

集落入り口脇から石段参道を登れば右手、斜面上、岩盤にしがみつくような格好の大樟が聳えている。

集落を見下ろす形の大樟は、説明板によると、樹高25m、目通り10m、推定樹齢800年と成って居ます。

根元は蔓性植物に覆われ、神木のしめ縄が巻かれて居ますが、大きな洞や傷み等は無く意気軒昂に聳え、とくに根元のボリューム感は凄い。 

撮影2011.12.18


菊池市七城町 妙見の樟

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この巨樟自身が「妙見の樟」と呼ばれ、霊木として信仰対象と成って居る。

国道325号、菊池市七城町のメロンドーム依り北西に約500〜600m、福祉施設脇の道路際、なだらかな斜面にどっしり腰を下ろして居る。

目通り10.0m、どっしり構えた巨幹には微塵の揺ぎも無い様に見える。

主幹は大きく二股に岐れ、樹高30m余り、樹齢約600年。

平成3年の台風で大小の枝が折れ、大きな被害を受けた、言われて居るが全くそんな気配さえ感じさせず、大きな樹冠を茂らせて居る。

しかし国の天然記念物から、菊池市の天然記念物に降格したようだ。

地元では、この樟を「上霍(か み づ る)神社」・「妙見さん」と呼び古くから「水の神様」として信仰対象に成って居る。

撮影2011.12.18

菊池市隈府(わいふ) 将軍木(しょうぐんぼく)

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菊池市の中心街に程近い県立菊池高校、その正門脇に由緒有りげな祠と並び立つ、大きなムクノキ。

この地の中心、「菊池本城跡」直ぐ近く、古くは武家屋敷群でも並んで居ただろうと思われる一角・・・・

由緒有りげな祠は、城主「菊池氏」の祖霊三代を祀った菊池神社の御旅所、椋の巨木はその御神木だとされて居ます。

しめ縄を巻かれ、菊池神社の神木とされるこの椋は南北朝時代、征西将軍宮「懐良親王(かねながしんのう)」のお手植えだとされ、地元住民からは親王の身代わりとして崇敬され、将軍木と呼ばれている様です。

目通り8m、樹高16m、推定樹齢約600年、つっかえ棒で四方を固められ、ちょっと痛々しい姿です。

おまけに裏側に廻ると・・・・、ちょっと哀しいこの姿、鉄のワッパが根元の裂け目が広がるのを抑えています。

それでも大空一杯枝を広げ、まだまだ大丈夫だと言わんばかりに立ち尽くして居る。

撮影2011.12.18

熊本市旧植木町  滴水(たるみず)のイチョウ 

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九州では巨木と云えば、ずば抜けて多いのが樟、次いではこの公孫樹じゃないだろうか??

どの地方に行っても名だたる公孫樹の老巨木が在って、それには必ずそれなりの曰く因縁が有り、信仰の対象と成って居る場合が多く、この「滴水(たるみず)のイチョウ」も例外では無い。 

JR鹿児島本線植木駅より北へ約2km地点、植木バイパス鹿南中学校近くの滴水集落公民館前の一段高くなった台地にそびえています。

九州の冬がいくら遅いと言っても、年の瀬の半ば過ぎ、小さな阿弥陀堂の台地は黄金色に染まり、裸木に近い大公孫樹は、寒そうに聳えて居た。

熊本県の天然記念物に指定された大公孫樹は、主幹の周りに株元から吹き出したヒコバエとの集合体の様に見えるが、実は5本の株が密植されて成長したものらしい。

根元には「滴水東屋敷の板碑」と言われる板碑石仏や石造物の残欠などが残り、この大公孫樹は平家落人の墓標として植えられたものだと伝えられている。

目通り14m、樹高42m、推定樹齢500年、廃寺跡の大地に佇む孤高の大公孫樹はそれだけで絵になる景観でした。

撮影2011.12.18

熊本市旧植木町 寂心さんの樟

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「一木にして森を成す」の言葉そのままに大規模な樹冠と巨大な主幹を持ち、巨樹らしい樹姿の巨樟です。

それこそTVCMの「この木なんの木、大きな樹・・・」を彷彿とさせてくれます。

前回紹介の滴水より南へ約4km足らず、JR植木駅南方高台、この樟のために造られた寂心緑地にその巨大な樹冠を広げて居る。

大樟の根元には、中世末、この地域に勢力を持っていた厳松軒寂心の墓石があり、「寂心さんの樟」と呼ばれ崇められている。

太いタコ足を大地に広げ伸ばしたように力強く張り出し、樹齢約800年、目通り13.3m、樹高30m、大きな樹冠下には特別な風が吹き抜ける

その圧倒するような量感溢れる気魄に満ち満ち、大きな傷みも見せず、樹勢は全く衰えを見せない。

堂々たる巨大さで熊本県の天然記念物に指定されて居る。

これ程の大きさでも、九州では何とか十指に入るだろううか??・・・・。

撮影2011.12.18

于城市(うきし) 小川阿蘇神社の大樟

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当然ながら熊本県には阿蘇神社が多い・・・、そんな中の一つ、熊本市街から南へ約30km、旧小川町「小川阿蘇神社」に聳える大樟です。

小川阿蘇神社の大樟は八代海に注ぐ砂川右岸、山裾南端部高台に鎮座、境内に続く石段の上、境内端から集落を見下ろす様、圧倒的な存在感で立ち尽くして居る。

大きなピースマーク、V字型に二主幹を天高く伸ばし、その大きな樹冠で天に蓋でもしてる様です。

小川阿蘇神社は、平安中期の長久元年(1040年)、本社より分霊を勧請の際、その船を繋いだ樟だと伝えられ、「舟繋ぎの樟」とも呼ばれています。

現在は遥遠くに八代海を望むが、当時この付近が海岸線だったとされています。

そんなこんなでV字型の大樟は樹齢1300年、目通りり13m、樹高 32m。

株元には弊を付けた七五三縄が巻かれ、葉を一杯茂らせる姿はそんな樹齢を感じさせず、まだまだ若くさえ見える。

現在宇城市の天然記念物に指定されて居る。

撮影2011.12.18

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